buriki-ya’s blog

貧しくても賑やかなちゃぶ台で夕食をとっていた昭和30年代...今も健在なブリキ玩具・政治・経済に関するブログです

岸信介がなぜA級戦犯として投獄されていながら不起訴となったのか

日本人も人体実験の対象
731部隊は人体実験を主な研究内容としており、対象者は捕虜として捕まえたロシア人、アメリカ人、朝鮮人、中国人、モンゴル人など、複数の国籍の人々。日本人も抗日組織の人々が人体実験の対象として残酷に殺されており、敵も味方も関係なく住民や赤ん坊などマルタ(丸太)と呼ばれる延べ3,000人の人体実験を行っていたとされる。

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・特に極悪な人体実験
今回は、そんな731部隊が実行した鬼畜すぎる人体実験をお伝えしたいと思う。ここで紹介する実験のほかにも複数の人体実験が行われていたといわれているが、特に極悪な人体実験をお伝えしたい。

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細菌兵器の研究
細菌を使った生物兵器は資源の乏しい日本にとってコストパフォーマンスに優れた兵器であり、また世界各国も生物兵器の研究にすでに着手しているというものであった。1932年の陸軍軍医学校への防疫研究室の設置も、石井の働きかけによるとされる。

実際に石井は、戦後のノーバート・フェル博士による尋問で、炭疽菌の効果について次のように語っている。「炭疽菌についていえば、もっとも有効な菌であると確信しました。量産できるし、抵抗力があって猛毒を保持し、致死率は80%~90%にのぼる。最も有効な伝染病はペスト、媒介節足動物による最も有効な病気は流行性脳炎であると考えました

後述のように、731部隊生物兵器開発に関与したことを示す証拠は多く、ペストやチフスなどの各種の病原体の研究・培養、ノミなど攻撃目標を感染させるための媒介手段の研究が行われていた。ただし、終戦直後にアメリカ軍が元部隊員に行った尋問の記録とされる「田中淳雄少佐尋問録」によると、1943年に防疫研究の余暇を使ってノミ増殖の研究を命ぜられたものの、大量増殖は不可能であるとの結論になっている。

731部隊における人体実験の主目的は伝染病の研究であると同時に対人用生物兵器の開発であった。マルタにはペスト、コレラチフス赤痢、梅毒スピロヘータなどの生菌を注射する細菌学的な人体実験が頻繁に行われた。通常、人体実験とは生体解剖を意味し、マルタは生きたまま解剖された。これは、被験者が死亡してしまうと人体に雑菌が入るため、マルタが瀕死の重症で、人体に雑菌が入らないうちに解剖して臓器などを取り出す必要があったからである

松本博さん(元1644部隊員)
1644部隊では、感染実験をした”マルタ”から全採血(身体中の血をぬきとる)した。
 “ロツ“ほまるで鳥かごのようで、高さ1m、縦約1m、幅約1m20cmくらい、大人が座っているのがやっとの広さしかありません。
 鉄棒で囲われ、床板だけが5寸角の角材をボルトで締めて敷かれていました。
 彼らは全裸でその中に入れられていました。
 一瓶ほど採血した頃、“マルタ“はものすごい痙攣を起こしました。
 もちろん“マルタ“は眠ったままです。その痙攣がおそらく死の瞬間だったのではないでしようか。採血も終わりの頃になるとガクッ、ガクッといって気泡が出てくるんですね。
 そうすると軍医といっしょに来た兵隊が靴のまま“マルタ”の心臓の上に乗り、踏みつけるんです。血をしぼり採るために

体の凍り具合
●凍傷は日本軍が極寒の地を征服するためには、どうしても克服しなければならない課題だった。以前は、凍傷に対する最も有効な治療法は、患部をわらでこすることだった。凍傷実験を担当した吉村寿人(ひさと)班では、以下の手順で実験を行った。
1、零下20度以下の屋外に被験者をしばりつけ、腕などに塩水をかけて人工的に凍傷を作る
2、棒でたたいて、凍り具合を確認する

低温実験
日本人は中国の被害者の手を超低温の冷凍庫(おそらく零下数十度から百度ほど)に入れ、急速冷凍した。
完成後、中国の被害者が両手を取り出すと灰白色になっていた。
表面には霜の層ができており、完全に人間の体ではないようだった。
ある日本人が棍棒で打つと、つららのように砕けてしまった。
中国の被害者の指を一本ずつ打ち落とし、音を鳴らしていた。
中国の被害者は絶望と恐怖の叫び声をあげ、傍観していた日本の実習生は目を閉じたりしていた。
だが目を閉じることは許されない命令が下された。

生体解剖 (生きたまま解剖する)
"中国の乞食と日本の子供を皮のボールで遊ばせて友達にし、日本人が日本の子供を使って中国の乞食を731大院に入らせ、食べ物を使っておびき寄せて「身体検査」を受けさせた。
中国の乞食は服を脱ぐときに子供のように恥ずかしがって笑顔になった。
手術台に上がり、麻酔をかけて、日本人は慣れた手つきで中国の乞食の腹を開き、心臓、肝臓などの器官を取り出し、準備しておいた生理食塩水に浸けた。
身体を離れた心臓は日本人の血まみれの手の上でもまだ鼓動していた。
「手術」が終わると日本の子供は中国の乞食の残骸を焼いた。"

低圧実験(被験者を低圧室に入れ観察)
この実験は高高度を飛行する飛行機のための実験。上空は気圧が低いためそれがどのような影響を及ぼすか確認していた。 被害者は減圧室に入れられ、減圧されながら極度の苦痛の表情になり、叫びたくても声が出ず、最後には眼球が飛び出し、腸などの内臓が腹から飛び出し、地面に流れてしまった。
※この実験に関しては真空状態に人間がさらされてもこのような事にはならないことが証明されている。

海水実験(血管に海水を注入し血液の代わりになるか調べる)
当時、医学部に入学したばかりの東野利夫
薄めた海水を代用血液とする実験だった。
Q、実際には海水が血の代わりになる?
A.実際には余り役に立たないと思うけど、何にもないですし、戦争中は代用血液になるものがない。血液がない。血液に代わるものとして手に入りやすい海水を生理的食塩水にどうかと。

・まさに黒歴史
ここで開設した人体実験はほんの一部であり、ほかにも複数の人体実験が行われていたとされている。
これら731部隊で実行された残虐行為は日本人の黒歴史であり、二度と同じことにならないよう、映像化や書籍化、そしてドキュメンタリー取材が繰り返されていたが最近なぜか抹消されつつある。

 

youtu.be

戦時中に非人道的な犯罪を犯した者には厳しい罰則が下るのが国際世論では当たり前なことです。 ところが、この731部隊で罪を問われた人間は誰一人として存在しません
戦後、日本の医学界の重要なポストに就いたり、何処にも隠れることもなく、平和に今でも暮らしています。

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岸信介満州国国務院実業部総務司長に就任した1936年(昭和11年)に軍馬や家畜に対する細菌兵器の開発を担当しており、人体実験も行っていた「軍獣防疫廠」が満州に設立されたのであった。1941年には、「満州第100部隊」と改称されたそうだ。

つまり、満州での人体実験や細菌兵器の開発は当時の総務司長であった岸信介の許可なしには行われなかったのであり、七三一部隊を率いていた石井四郎の背後で岸信介が実権を握っていた感がある。

実は、岸信介がなぜA級戦犯として投獄されていながら、不起訴となったのか理由を書いたものは一つも見当たらなかった。岸信介こそがアメリカに日本軍の人体実験および生体解剖によるデータを売り渡した張本人だったということだ。

やがてそれは実際にベトナム戦争で現実化した。 ただ日本と米国両政府がこの事実に関しては触れられたくないと言うのが本音だろう。 南京大虐殺は言われる程大規模ではなかったかもしれない。 だが731部隊は事実であり、当然被害者遺族に礼を尽くすべきと思いますが...

特に3607人の実名が記載された名簿が国立公文書館から開示されたと、西山勝夫滋賀医科大名誉教授が2018年に明らかにした後、関連のデータが次々と消滅している。カミの逆鱗にでも触れたのだろうか?